ここからは武道と結び付けられしょっちゅう引き合いに出されることも多く、言い合いになることが多い武道の「礼儀」について話しますが、武道にも厳格な礼儀があるように、居合道にも礼儀があり、稽古の始まりと終わりにするべき礼儀作法があるのです。これはべつに居合道にかぎらず、武道全般に言えることですが、先輩、後輩、師匠、弟子を問わず全ての方面に対し無礼がないように鍛錬を行うということが最も根幹を成していると言えるでしょう。特に、江戸時代の武士などは無礼なものを切り捨てることがしょっちゅうあったほど、礼儀やそれに関する作法というものに重きを置いていたことは皆さんもよく知っているのではないでしょうか?現代においては、様々な科学技術などの発達によって、礼儀やそれに関する作法などがおろそかにされがちですが、武道においては、数百年経っても全く変わらず、礼儀の正しさと伝統が生きている唯一の場所であるとも言ってもいいかもしれません。一般的にマナーやドレスコードというのは時代の変化にともなって価値が変わり、廃れたり、流行したりするものですが、武士道においては根幹をなす考え方はほとんど変わってないといってしまってもいいかもしれませんね。刀を持つときや、刀を置くときも同じようにするべきマナーがあるわけですから、厳格に、かつ、着実に守って鍛錬を積むことが重要になってくるのです。現代で、「躾がなっていない」とか「礼儀がなっていない」とか言われることのほとんどのことというのは、まさに先ほどまで述べてきた自分自身と刀の関係に置き換えることができると言えるでしょう。案外関係がなさそうにも思える自分と刀の対話こそが重要だということをもう一度考えてみる必要があるのです。