日本刀と平和

日本刀はその歴史に戦争で彩られた側面があることは間違いありません。しかし古代人も中世人も現代人も、決して戦争を好むわけではなく、むしろ平和を願いつつ、日本刀を保持したのです。例えば「守り刀」の文化は宗教的色彩の強いものであり、この刀を大事にすれば厄災から逃れることができると信じられてきました。平安時代には既にこの文化が定着しており、「栄花物語」の中で天皇が皇子の誕生を祝って剣を贈ったシーンも描かれています。守り刀という習俗は武家社会でも受け入れられました。鎌倉時代に一気に広まり、明治維新で近代化すると、今度は一般庶民にも広く受け入れられたのです。

皇室では「賜剣の儀」として長らく引き継がれており、葬送の際も遺骸の上に短刀が置かれます。その短刀が死後も故人を守ってくれるというものです。このように「守り刀」をはじめ、刀剣は宗教や神道と切っても切り離せないもので、その起源は記紀神話に登場した鍛冶の神や、刀身の滑らかな光沢の神性に求めることができます。多くの神社もそうした背景から刀剣類を納めたり、奉納文化を保持しているところが多く、東京の日枝神社、愛媛の大山祇神社等が有名です。

戦争の最中にあっても、その神性が勝利と平和をもたらすと考えられ、天皇から総司令官や大使に権力委任として下賜された「節刀」は、現代人が考える以上に大切にされてきました。古くは「続日本紀」にもその旨が記述されており、元明天皇が時の蝦夷将軍に節刀を貸し与えたとされています。節刀は一時的な権限移譲を意味しますから、任務が完了すれば天皇に返納されるのですが、武家政権に移行してからは節刀にまつわるそうした決まりも曖昧になりました。