刀工について・五箇伝・山城伝

山城伝というのは、平安時代後期以降に、山城地方で発生した名工や刀工集団による鍛法のことだそうです。歴史としては、延暦13年の平安京遷都によって、山城国が日本の中心になって繁栄したことから始まったそうです。平安時代初期は、坂上田村麻呂の蝦夷征伐、中期以降は平将門と藤原純友の乱といういったように多くの戦乱があって、武士団というものが形成されていったそうです。平安京は技術も情報も最先端だったそうです。軍事的な需要を賄う刀工もいたはずという人もいるそうです。ただそういった史料はないそうです。刀工として名前が出てくるのは三条宗近だそうでう。ただこれは伝説的なのだそうで、年代もはっきりとはいえないそうです。宗近という人は、小鍛冶と呼ばれていたそうで、謡曲「小鍛冶」にも登場しているそうです。三条派は宗近子孫といわれている吉家・兼長という人たちが続いたそうです。平安時代後期に登場した粟田口派は國家を祖としているそうです。平安時代から鎌倉時代にかけて、國友、久國、國安、國綱が続いたそうです。けれど、今では確かな銘があるものをみることは滅多にないそうです。この粟田口派のあとが来派だそうです。鎌倉時代前期から南北朝時代中期にかけて優れた刀工を多く排出したそうです。現在、山城伝といったら、まず連想されるのがこの来派だそうです。山城伝の特徴として、反りの中央が刀身の中央にある美しい輪反りを特徴としているそうです。神社の鳥居に似ているということで鳥居反り、笠木反りともいわれるそうです。地鉄は板目肌が詰み、細かな地沸が厚く均一について光を反射しているそうです。刃文は京逆子だそうです。帽子は大きく崩れることはなく小丸に上品に返るそうです。