山城大掾国包は、江戸初期の仙台伊達藩のお抱え刀鍛冶である。文禄元年、野鍛冶の家に生まれる。本名は本郷源蔵という。
23歳の時、仙台藩祖伊達政宗の命令で山城国の刀工「初代 越中守正俊」に弟子入りし修行に努めた。元和5年に仙台に帰国。仙台藩お抱え刀工となった。 寛永13年、松島瑞巌寺において出家入道し用恵仁沢と号した。以後、用恵の銘も使うようになった。「国包」は13代まで継承された。
作風は、大和国の刀匠で柾目肌の達人「保昌貞宗」の末流を称し、その技術が絶えていた保昌貞宗の柾目肌を復活させた。特に柾目肌の地肌に流れる弗の美しさは秀逸である。
切れ味も鋭く「最上大業物」との格付けをされている。代表作は、重要文化財「奥州仙台住山城大掾原国包/寛永五年八月吉日」宮城県指定文化財「用恵国包/正保三年八月吉日」などがある。