儀礼用と平常用の大小拵

元禄期に入ると、世の中は泰平の世と呼ばれる平和な時代に入りました。戦も減ったために、武士も戦場を走り回ることはなくなりました。防御に使う甲冑は不要となり、使っていた日本刀も実用性重視ではなくなりました。実戦で使えるものよりも、大小の二本差しが威儀的に使われるようになり、それによって支配者の階級が読み取れるようになりました。大小拵は、儀礼のときに使う特別なものと、普段から帯用するものと二種類ありました。当時の刀剣風俗に関しては、『四季風俗図鑑』を見ると、分かりやすく見ることができます。儀礼に使うための大小拵は、さまざまな工夫がされていました。柄が白鮫皮で包まれており、柄頭は水牛の角でできており黒漆を塗った頭をはめた上で、黒糸で掛巻にしています。握は菱巻にしており、鞘は黒色を帯びている蝋色塗(ろいろぬり)を採用していたそうです。栗形は角味をおびており、鐺(こじり)も大は一文字、小は丸い船底型を原則としていました。儀礼用だけあって、豪華な作りになっていることが分かります。一方で平常用につかっているものは、柄巻を色彩ある組糸で巻きしめており、鞘は朱、白檀、緑漆塗など変化のある塗り方となっています。華麗な塗鞘が多かったと言われています。大小拵が武家の権威を表していたのは、江戸時代の260年ほどです。この時代、町人も短い脇指を一本だけ差すことが許されていました。町人の中でも裕福な者は、この脇指にお金をかけて、趣味嗜好を発揮していたそうです。その工夫は武家に負けじとしており、この時代に、工芸の職人たちの技量はさらに発達したと言われています。脇指ではありますが、芸術性の高い作品が数多く残されていると言います。