天正18年、豊臣秀吉は毛利輝元邸を訪問し、目にした「一期一振」の譲渡を熱望した。輝元は秀吉の所望を断り切れず、「一期一振」を秀吉に献上した。この説が最も確実性の高いといわれている。秀吉は、入手した「一期一振」の笄と目貫を室町期の高名な金工師後藤祐乗の物に交換し至宝とした。秀吉没後、秀頼が継承したが、大坂夏の陣で焼き刃となってしまった。引き継いだ家康は備前康継に再刃を命じた。元々の二尺八寸三分の刀長を二尺二寸三分に磨り上げ、銘は額銘に変更された。幕末文久3年、尾張徳川家第15代藩主徳川茂徳により孝明天皇に献上された。以来、皇室の所蔵(御物)となり、現在は宮内庁が保護管理に当たっている。毎年10月17日の宮中祭祀である神嘗祭に使用される。