GHQが刀にしたこと

 日本史において、刀狩りは2度実施されました。1度目は秀吉による16世紀のそれですが、2度目は戦後の政策によるものです。太平洋戦争に敗れた後は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の軍門に下る他なかったわけですが、GHQは当時から日本刀の持つ意味をよく理解していました。つまり日本人にとって、日本刀が武器以上の意味を持っていることを知っていたのです。そこからGHQが導き出した答えは、日本刀が精神的支柱となり、レジスタンスが生じ得るというものでした。GHQが気にかけたのは、戦中の日本軍の振る舞いでした。日本刀を使って斬首することもあれば、切腹することもあったからです。また特攻を仕掛ける時にも使われたことから、日本人の日本刀に対する神聖視を見くびるべきではないと考えていました。確かに西洋の人々からすれば、日本刀を用いた日本人の振る舞いは、野蛮であるのか、宗教的な複縦なのか、よく分からずに不安だったことでしょう。結果的に日本が再軍備してしまうと大変なので、刀狩りするのが妥当だと判断したのも頷けます。
 当時のGHQの刀狩り令は、日本人にとってショッキングなものでしたが、敗戦国としては受け入れるしかありませんでした。しかし政治家や知識人の中には回避に向けて抗弁を重ねる人もいました。武器としてではなく神器として、信仰の対象として、家宝として、芸術作品として認めてほしいと願い出たのです。結果的にGHQが折れる形となり、美術品としての日本刀は認められることになりました。しかしこの過程で多くの名刀が破壊されたり、海外に流出したりしたことは事実です。
 相撲にも見られるように、日本刀が美術的価値以上のものを生み出してきたことは確かでしょう。刀の振り回しにも美が見出され、歌舞伎や剣劇が発展しました。殺陣の演技を見て下さい。歌舞伎の影響を強く受けていることが分かります。殺し合いには全く見えません。